神社に寄付した話

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煩悩にまみれた、神社への寄付

先日、妻と夜の散歩をしていた。

散歩の折り返し地点のひとつである神社に差しかかったとき、一枚の看板が目に入った。

「緊急修繕ご寄付のお願い」

いつもなら「ふーん」で終わる。本当に、それだけだ。だがこの夜の私は違った。

「神社に寄付したことあるって響きめっちゃかっこよくね?」

煩悩三毒のひとつ、貪(とん)――むさぼりの心――が、盛大に溢れ出した瞬間だった。動機が、あまりにも不純だった。


翌日さっそく神社へ向かうと、宮司さんの奥様らしき方がいらっしゃった。

「散歩の目的地でいつもお世話になっているので、寄付をと思いまして」

我ながら、なかなか様になったセリフだと思う。申込用紙を受け取ると、まだ一円も渡していないのにものすごく感謝された。

ちょっといい気分になった。煩悩はさらに加速した。

準備

帰宅して、寄付の作法を調べた。

AIによると弔事でなければ紅白蝶結びのご祝儀袋か、白無地の封筒が基本。蝶結びは「何度あってもいい」慶事に使うもので、神社への寄付に適している、とのこと。今回は気持ち程度の金額なので、手持ちの桜柄の封筒を使うことにした。

中袋の表面に、旧字体の漢数字で金額。裏面に住所と氏名。

書き終えた封筒を前に、私は妙にそわそわしていた。早く持っていきたくて仕方がない。男として一段上のステージに上がれる気がする――そんな根拠のない予感まで抱いていた。

何度でも言う。煩悩の塊である。

寄付当日

仕事を終えた私は、ウキウキしながら神社まで自転車を立ち漕ぎで飛ばした。三十五歳、中年男性の姿とは、とても思えなかっただろう。

神社に着くと、宮司さんに直接手渡しすることができた。

そのあとしばらく、私はどこへ行くでもなくその場に立っていた。

なんとも言えない充実感が、じわじわと広がっていた。

「こんな満足感のある金の使い方、いつぶりだろう」

不純な動機から始めたはずの寄付が、終わってみれば清々しかった。きっかけが煩悩でも、行動したという事実は残る。

今日の俺、アップデート

これから神社と良いお付き合いができればいいな、と心から思った。

見返りを求めないお金の使い方が、これほど気持ちいいとは知らなかった。

日本の神社仏閣が後世に長く残るよう、次にお参りするときはほんの少し、お賽銭の額を増やしてみてほしい。

見栄でもいい。最初は煩悩でいい。

やってみると、案外悪くないから。

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